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8月, 2024の投稿を表示しています

四谷シモンについて考える

 前回の投稿で人形作家辻村ジュサブローを取り上げたので今回は人形作家四谷シモンを取り上げようと思います。(本文ではいつも私が呼んでいるシモンさんで話をします。)なぜかと言うと私が人形作家を志したきっかけが彼の作品だったからです。学校に通っていたころ学校の近くに彼の作品を置いてある喫茶店があり放課後通っては何時間も作品の前でお茶を飲んだのものです。そしていつかこんな作品が作れたらいいなぁと思い続け、結果紆余曲折の末人形作家となることが出来ました。そんな自分の人生のターニングポイントになったシモンさんの作品について個人的な考えを書きたいと思います。 シモンさんは言わずと知れた人形作家です。功績としては球体関節人形というスタイルを日本に普及させたというのが大きいと思います。元々役者でもありますし絵や随筆も書くマルチなアーチストでもあります。篠山紀信が彼の作品を撮った写真集「人形愛」の発表はは工芸的な枠にとどまっていた創作人形をより広い大衆に向けて知らしめることになりその後に続く人形作家のロールモデルとなっていきました。その写真集のタイトルである人形愛という言葉を作ったのが澁澤龍彦と言う文学者です。人形愛という言葉は語源はギリシャ神話に依拠しています。そのギリシャ神話にピグマリオンと言うキャラクターが出てきます、ピグマリオンは自分の作った彫刻の女性に恋してしまい最後は神様の助けを借りて結ばれます。この物語のいわれから人形を偏愛することを「人形愛」と名付けたわけです。では何故澁澤龍彦の言葉がタイトルに使われていたかというとシモンさんの作品を高く評価していたのが彼だったからですね。シモンさんが特集されている当時の雑誌を見ると澁澤龍彦をはじめ版画家の池田満寿夫、美術評論家の種村季弘など当時のそうそうたる文化人が寄稿していますので如何にシモンさんの作品が衝撃的なものだったかわかると思います。今だったら平野啓一郎と村上隆と椹木野衣が推してくれるような感じでしょうかw。この様にシモンさんの作品は工芸を志向する事でステップアップする今までの人形作家の生き方以外にも別の生き方、例えばアートや文学といった文脈で作品を評価してもらうことが出来る事を証明したということで画期的だったのです。また文筆を通して自分の考えをを述べて作品の背景にある自分自身をアピールしたのも現代的な行動だっとと思...

人形作家とは何か

 創作人形を作っている人は大抵自分の事を人形作家と称していることが多いです。ドールアーチストなどと称することもあります、現代的な言い方ですが他の表現分野との兼ね合いを考えれば正しい言い方のような気もします。でも作家とかアーチストって何なんでしょうか?今回は作家って一体何なのか考察してみようと思います。 日本の人形シーンにおいて人形作家のパイオニアは明治から昭和にかけて活躍した久保佐四郎という人形作家だと言われています。なんでこの人がパイオニアといわれるかというと当時分業で作られていた人形を全部自分一人で作ったからだと言われています。しかし同時代人である彫刻家のロダンは作品製作を工房単位で行っていました。それでも偉大な作家という評価だったのです。この事は作家という概念の理解に何らの誤解が生じていたのが原因だと考えられますので作家(便宜的にアーチストをこう呼ぶことにします)とは何なのか歴史をさかのぼって考察してみようと思います。 作家の起源はルネッサンス期のイタリアであるといわれています。当時絵画や彫刻は王侯貴族や教会、大商人といった上流階級から依頼を受けて工房が制作するものでした。数十人の人々が絵の具作りや額づくりまで分業で制作にあたっていました。現在のひな人形の工房やアニメスタジオによく似てますね。しかし不況がやってきて仕事の依頼が減ってしまい工房は職人さんを雇っていられなくなったのです、今でいうリストラですね。そして工房を離れた職人は分業でおこなっていた作業を自分でやらざるを得なくなりました。作家が全部作るという認識は多分この辺にあると思います。しかし作家の誕生にはもう一つ重要な要素があるので続けて説明したいと思います。 ルネサンスが訪れる前ヨーロッパでは十字軍というイスラム教国家との戦争の時代がありました戦争は残酷なものだったのですが戦利品としてのイスラム世界に保管されていた古代ギリシャの書物を持ち帰ることができました。ルネッサンス期はそれらの書物がイタリア語に翻訳され特にギリシャ哲学の内容が当時の人々に大きなショックを与えた時期でもありました。どんなショックかと言えばそこには人間中心主義という現代の我々にもなじみある考えが書かれていたからです。キリスト教の聖典である聖書を中心に生活や政治が行われていた当時からすればそれはとんでもない考えだったのです。聖...

怖い人形

 人形の仕事をしてると人形が怖いという人に出会うことがよくあります。横浜人形の家という観光施設があるのですがGoogleなどで検索をかけるとセカンドワードとして「怖い」というのがトップに出てきたりします。勿論横浜人形の家の展示は極めて穏当なものですし大半は愛玩のために作られた人形ですので不思議な現象だと思います。勿論古い人形や外国の人形などはその時その場所の愛玩に対する好みが反映されるわけですからその違和感が怖いという感情と結びついてしまうというのも納得のできる話です。しかし実際に「呪いの人形」というのもあるので人形が恐ろしい、おどろおどろしいものであることもまた事実だと思います。そこで今回は怖い人形について考察してみようと思います。 2023年渋谷区松濤美術館で行われた「ボーダレスドールは」近年珍しい人形をテーマにした展示でしたが印象的だったのは実際に使われた平安時代の呪いの人形が展示されていたことです。それはヒトガタに切り出した木札のようなもので顔と呪われる人の名とおぼしきものが墨で書かれていました。平安時代といえば映画でも有名な陰陽師(暦を作ったり祈禱をする役職)安倍晴明が活躍した時代でもありました。安倍晴明は狐の子供という伝説を持つ不思議な力を持つ人物だったらしく式神という紙で作った人形をお手伝いさんのように使っていたといわれてます。平安時代の人々はマジメに呪いというものを信じていたわけですね。しかし民主主義や資本主義も我々の共同幻想に過ぎないわけですから当時の人達の心根を馬鹿にするわけにはいきません。何しろ当時の天皇は呪いの禁止を法律で決めていたわけですから呪詛をしたら重罪だったのです。陰陽師が法律で廃止されたのは明治になってからですから呪いが迷信になったのはつい100年程前ということなわけですね。 呪いの人形というのは人の不幸を願うネガティブなものですが人の穢れを移して川に流す「流しびな」や子供の健やかな成長を願う「天児」などポジィティブな呪いの人形もあります。現在も東北地方で作り続けられているユニークな呪いの人形「人形道祖神」はポジィティブ系の呪いの人形ですが伝説の時代に遡るいわれを持つ人形ということから人形の持つ呪物としての側面を考察するのに好例です。以下ご紹介したいと思います。 「人形道祖神」は北関東から東北地方で作られる木や藁でできた人形...

人形と擬人化

 アニメ映画「トイストーリー」には人形に対する欲望のようなものがダイレクトに表現されています。主人公の人形達は子供部屋の中で部屋にある他の無生物とは違い感情を持ちコミュニティーを築いています。なぜか椅子やベッドは喋らないのですがw飾ってある人形が真夜中に動き出しているかのような妄想は子供のころ誰でも持つ妄想の一つだと思います。勿論これは物語の話ですが人形研究者の菊地浩平さんは客観的にその様な欲望ををマジメに研究している研究者の一人です。具体的には人形参観と称して自分の講義に参加した生徒さん達とその人達が所有する人形に対する気持ちを聞き出したり。人形供養の研究を通じて人形に対する人間の心の問題を取り上げたりしています。それらの研究から分かることは人間は人形に対して人格に近いようなものを認めているという事実だとおもいます。特に菊地さんの本の中で人形とお別れする話の描写にそのような感情を深く感じることができるのです。しかしそのような感情はしょせんモノに対する気持ちに過ぎないわけですからモノの人格を認めるというよりモノを擬人化する心の働きというのが適当な表現だと思います。 「人形は顔が命」というキャッチフレーズは人形メーカー吉徳の往年のコマーシャルのものですが人形における顔の存在は人形が擬人化される時の重要なファクターの一つであることは間違いのないことです。脳科学の研究によりますと人間の脳の中には顔を判断する部位が生来的に存在するそうだす。非常に簡単な顔のモデル、例えば逆三角形の頂点に三個の黒い点を配置した図形でもその部位は反応するそうです。それは「顔パレイドリア」と呼ばれ視覚的な錯覚が生み出す現象、例えば車のフロントグリルが顔に見える現象や心霊写真などもそれが原因だと考えられています。個人的にはサンリオのキャラクターの持つ単純化された顔なども「顔パレイドリア」が生かされているのではないかと思っています。生来的な脳反応に訴えかけているからこそ世界的にみんなに愛されるキャラクターになっているのですね。 顔の対する人間の特殊な感受性は社会的なコミュニティーが高度化されるに従って獲得されていったとことがチンパンジーの研究から明らかにされていますので「人間も顔が命」だったともいえるわけですね。このように人形の顔は人間のコミュニケーションに対する反応を生来的に刺激してのだと考...

人形の小ささについて

 前回の投稿で作品の大きさと作品を見た時の心の動きについて考察したので今回は人形の小ささについて考えてみようと思います。 辻村ジュサブローは「人形とはミニチュアールである」といい鹿児島寿三は「人形の大きさは20㎝ぐらいが見るにも、扱うにも、制作するにも丁度いい」と言いました。二人の偉大な人形作家がこの様におっしゃるからには人形の小ささは人形を構成する主要な要素であることは間違いないと思います。前回紹介した古代の女神という像がだいたい10cm~30cm程度のバリエーションで発掘されている事を鑑みれば人形の発生時点では既に小ささについての感性が存在していたということが想像できます。しかしながらさすがに2万年前のことでもあるので推察しながら考えを深める以外にありません。そこで人形の小ささについて考察した本としてユニークな論を展開している本として北山修さんが書いた「人形遊び 複製人形論序説」というものがありますので簡単に紹介したいと思います。 この本で展開される材料になるのはビートルズというイギリスの有名なロックバンドです。ビートルズの曲やイメージは複製技術を通じてレコードやポスター、グッズ等に変化しファンにとって抱きしめられるサイズに変化するとあたかも人形のようなものに変化します。またプラスチックで複製されるレコードと人形の工業的な製作過程の相似やビートルズというバンドがスターになるにつれてリアルな肉体を持つ若者たちではなく外形的なヴィジュアルイメージだけの存在(人形)になるといった論が展開されることになります。ヒトガタの立体作品以外のものに人形の持つ属性を見出しているところにこの本のユニークさや現代性を感じます。しかし今回は人形の小ささについての考察なのでそこに焦点を当てて簡単にまとめますとビートルズのレコードやグッズはビートルズのミニチュアということになるわけですね。人形におけるドールハウスに置き換えて話をすると実際の生活空間にある家具が縮小されて人形遊びの対象になることで実物の家具にはない魔術的なものに変化するような現象によく似ていると私は解釈します。そして私がもう一つ注目するのはビートルズという実物大の塊とその欠片であるレコードという関係性についてです。それを説明するためにおみやげを例に話を続けたいとおもいます。 日本の人形が庶民の手に気軽に渡るようになっ...

人形と彫刻

  人形と彫刻 このブログでは人形についてアレコレ考察してみようと思っています。先ずは立体造形表現としての人形と彫刻の特徴を比較することを通じて両者の違いが何なのか探ってみましょう。 ぱっと見、彫刻は大きく人形は小さいというのが印象としてあります。それはたとえば彫刻は駅前や役所などの開けた公共空間、人形はこじんまりとした室内に置かれていることが多いという印象です。そういう観点からそれらの違いを歴史を原点に遡って見ていけば一つの答えに辿り着きそうなので先ず彫刻の歴史についてみていこうと思います。 日本における美術彫刻の歴史は明治以降のことになります、それ以前は像といえば主に仏像でした。文明開化から西洋化への圧力があらゆる分野で起こって美術という概念もその時に西洋から輸入されました。彫刻は絵画と並んで美術の主要表現だったので国を挙げて勉強する必要があったのです。当時はまだ彫刻を教える先生もいなかったので仏像を彫る仏師が先生だったりしました。仏像は信仰物ですので基本お寺の門徒が拝むもので当時一般の人が簡単に見るようなものではありませんでした。なので公共空間に飾られることを目的とした西洋の彫刻を教えるにはには色々と大変だったと思います。 西洋において彫刻が公共空間に置かれた歴史をさかのぼればかなりの歴史が確認できます。近代から遡って説明しますとやはりロダンは欠かせません。ロダンは型を使って作品を作っていたので沢山の作品が美術館、公園、広場などに置かれました。 主に宗教や神話のキャラクターを作ることで成立していたこれまでの西洋彫刻のセオリーに対してありのままの人間像を作ったロダンの作品は宗教や王族という旧来の権威が失われる近代という時代を代表するアイコンになりました。その作品が飾られた公共空間は今でいうメディアとなって新しい人間像を市民に知らしめる装置となっていきました。 日本の戦後開発された町の公共空間ににロダン風の彫刻が多いのは戦後民主的になった日本人に理想化されないありのまま人間像が民主主義の雰囲気にマッチしたからなのかなと個人的には思います。何故なら戦前に作られた現在でも見ることができる有名な彫刻、例えば上野の西郷さんや皇居の楠木正成の像なんかはやはり英雄の像ですし戦前の皇国史観に則った勇ましい像なわけですから。 西洋においてもロダン以前には彫刻はキリスト教の...