人形の小ささについて

 前回の投稿で作品の大きさと作品を見た時の心の動きについて考察したので今回は人形の小ささについて考えてみようと思います。

辻村ジュサブローは「人形とはミニチュアールである」といい鹿児島寿三は「人形の大きさは20㎝ぐらいが見るにも、扱うにも、制作するにも丁度いい」と言いました。二人の偉大な人形作家がこの様におっしゃるからには人形の小ささは人形を構成する主要な要素であることは間違いないと思います。前回紹介した古代の女神という像がだいたい10cm~30cm程度のバリエーションで発掘されている事を鑑みれば人形の発生時点では既に小ささについての感性が存在していたということが想像できます。しかしながらさすがに2万年前のことでもあるので推察しながら考えを深める以外にありません。そこで人形の小ささについて考察した本としてユニークな論を展開している本として北山修さんが書いた「人形遊び 複製人形論序説」というものがありますので簡単に紹介したいと思います。

この本で展開される材料になるのはビートルズというイギリスの有名なロックバンドです。ビートルズの曲やイメージは複製技術を通じてレコードやポスター、グッズ等に変化しファンにとって抱きしめられるサイズに変化するとあたかも人形のようなものに変化します。またプラスチックで複製されるレコードと人形の工業的な製作過程の相似やビートルズというバンドがスターになるにつれてリアルな肉体を持つ若者たちではなく外形的なヴィジュアルイメージだけの存在(人形)になるといった論が展開されることになります。ヒトガタの立体作品以外のものに人形の持つ属性を見出しているところにこの本のユニークさや現代性を感じます。しかし今回は人形の小ささについての考察なのでそこに焦点を当てて簡単にまとめますとビートルズのレコードやグッズはビートルズのミニチュアということになるわけですね。人形におけるドールハウスに置き換えて話をすると実際の生活空間にある家具が縮小されて人形遊びの対象になることで実物の家具にはない魔術的なものに変化するような現象によく似ていると私は解釈します。そして私がもう一つ注目するのはビートルズという実物大の塊とその欠片であるレコードという関係性についてです。それを説明するためにおみやげを例に話を続けたいとおもいます。

日本の人形が庶民の手に気軽に渡るようになったのは江戸時代の土人形の流行が一つの契機だと言われています。それらは寺社仏閣の門前でみやげものとして売られることで多くの人の手に渡ることになったのです。現在でも門前の通りにはおもちゃ屋さんがあるのを見ることがあると思います、江戸時代と変わらぬ風景が今でも変わらずにあると思うとちょとうれしい気分になるものです。

問題はそのみやげという言葉にあります。みやげは土産とも宮笥とも書き表せます。土産は地元で作られたものという意味ですが元々は宮笥の字であったとも言われています。宮の字は神を。笥は物を入れる小さい箱を意味しています。神様を箱に入れて持って帰るというのがその語の本意ということになるわけですね。何故この様な言葉が生まれたかというと昔の日本(いつ頃は判らないのですが)ではご神体の一部を壊して持って帰り家族に神様の恩恵を分け与える風習があったかららしいのです。例えばねずみ小僧次郎吉の墓の一部を削り、持って帰って身に着けているとばくちに負けないとか、お地蔵さんの一部を壊してお守りにすると病気が治るとか似たような習俗は最近まで残っていたのですね。でもご神体を壊して持っていかれるとご神体がなくなってしまうので神様の似姿の土人形が作られるようになったのかと私は推察しています。

この様に見ていくと古代人が小像を動物の骨や牙で作ったのはその動物に対する崇拝感情があったり、石が材料の場合でも聖地のような所の石だったのかと想像することもできるかもしれません。最古の絵画と呼ばれるラスコーの洞窟壁画にしてもモチーフになった動物への崇拝感情や洞窟が古代人の聖地であったと指摘する専門家もいる訳なのであながちありえない話ではないかもしれません。

まとめれば人形の小ささの前提には大きな塊の存在があり、その欠片となることで人形はその塊の持つ特性を受け継ぎその魅力を露にするのだといえます。つまり人形にとっての小ささとは大きさとしては欠片のようなものですがどこか元の塊の持つ魅力を濃縮したようなものに変化させる魔法のようなものだと言えると思います。そんな小ささが持つ儚さや眩暈の感覚が人形の持つ魅力と言えるのではないでしょうか。

人形の小ささの理由をおわかりいただけたでしょうか。小ささについてはまだまだ考察の余地もあると思います、例えば企業が作るリカちゃんのような人形も一見元の塊の姿は見えませんが少女たちのあこがれという大きな共同無意識の塊を想定するとなぜそれが時代の表象として作用してきたのかも説明可能なのかと思います。今後人形を見る時はその背後にある塊の存在に思いをはせるのも面白いかもしれませんね。

                             月光社 つじとしゆき





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