人形作家とは何か
創作人形を作っている人は大抵自分の事を人形作家と称していることが多いです。ドールアーチストなどと称することもあります、現代的な言い方ですが他の表現分野との兼ね合いを考えれば正しい言い方のような気もします。でも作家とかアーチストって何なんでしょうか?今回は作家って一体何なのか考察してみようと思います。
日本の人形シーンにおいて人形作家のパイオニアは明治から昭和にかけて活躍した久保佐四郎という人形作家だと言われています。なんでこの人がパイオニアといわれるかというと当時分業で作られていた人形を全部自分一人で作ったからだと言われています。しかし同時代人である彫刻家のロダンは作品製作を工房単位で行っていました。それでも偉大な作家という評価だったのです。この事は作家という概念の理解に何らの誤解が生じていたのが原因だと考えられますので作家(便宜的にアーチストをこう呼ぶことにします)とは何なのか歴史をさかのぼって考察してみようと思います。
作家の起源はルネッサンス期のイタリアであるといわれています。当時絵画や彫刻は王侯貴族や教会、大商人といった上流階級から依頼を受けて工房が制作するものでした。数十人の人々が絵の具作りや額づくりまで分業で制作にあたっていました。現在のひな人形の工房やアニメスタジオによく似てますね。しかし不況がやってきて仕事の依頼が減ってしまい工房は職人さんを雇っていられなくなったのです、今でいうリストラですね。そして工房を離れた職人は分業でおこなっていた作業を自分でやらざるを得なくなりました。作家が全部作るという認識は多分この辺にあると思います。しかし作家の誕生にはもう一つ重要な要素があるので続けて説明したいと思います。
ルネサンスが訪れる前ヨーロッパでは十字軍というイスラム教国家との戦争の時代がありました戦争は残酷なものだったのですが戦利品としてのイスラム世界に保管されていた古代ギリシャの書物を持ち帰ることができました。ルネッサンス期はそれらの書物がイタリア語に翻訳され特にギリシャ哲学の内容が当時の人々に大きなショックを与えた時期でもありました。どんなショックかと言えばそこには人間中心主義という現代の我々にもなじみある考えが書かれていたからです。キリスト教の聖典である聖書を中心に生活や政治が行われていた当時からすればそれはとんでもない考えだったのです。聖書の中に出てくる人間たちは大抵において自分の考えで起こした行動、それを生み出す元凶である欲望が原因で下手ばっかり打ってるポンコツに書かれているので人間は余計なことを考えず神様の言う通り生きるというのが理想の生き方であったからです。工房をリストラされた職人達はギリシャ哲学の影響から自分で考え、自分の見たものを、美しいと感じた物を制作するということを始めたわけです。その中からレオナルドダヴィンチやミケランジェロなど偉大な芸術家が生まれ彼達を作家と呼ぶようになりました。これが作家が生まれた簡単なあらましです。この様に西洋において自分について、また人間について考える学問である「哲学」とアートの関係は密接な関係がありそのようなものと無用な造形物例えば工芸、手芸は近代になるまでアートの外側に置かれたわけです。では日本ではその様な作家の伝統はどの様に受容されたのでしょうか?話を人形に戻しましょう。
冒頭に紹介した久保佐四郎は昭和の初頭仲間と連れ立って団体を立ち上げ人形を芸術にしようと行動を開始します。「人形芸術運動」と言われています。しかしこれは人形を絵画や彫刻のような美術のトップカテゴリーに人形を認めて貰うというよりも一段下に置かれていたカテゴリーである工芸として認めてもらいたいといったところが活動の本意だったと思います。その後その団体の中から平田郷陽の作品が国の主催する展覧会工芸部門で入選を果たしました。これをもって人形も工芸のお仲間に入れてもらったと言うわけです。今まで人形は低いカテゴリーの工芸にすら表現として認めて貰うことができなかったわけですから平田郷陽は人形作家の中で一躍トップアーチストとして名声を得ることになったわけです。では平田郷陽とはどのような人物だったのでしょうか。以下説明したいと思います。
平田郷陽は生き人形師の家に生まれました。人形制作は家業であったわけですね。父親は生き人形興行の人形を作る職人でした。生き人形は今でいえばお台場の蠟人形みたいなものでリアリズムで客を驚かす見世物でした。郷陽はそこから見世物としての要素を取り除き職人として培った技術を生かして工芸品としての人形を完成させました。初期のリアリズムに基づいた人物像から晩年にかけてはデフォルメされた人体表現に挑戦し昭和20年には人間国宝後に、晩年には国から勲章も貰っています。人形作家としてこれ程成功した人はいないと思います。しかし私は郷陽の作品を見る時これはホントに作家の作った作品と言えるのか疑問に思うことがあります。その理由は郷陽の同時代の作家と比べることでご理解いただけると思いますので以下続けます。
冒頭から引き続き先ずは彫刻家のロダンに登場していただきます。前述したように作家とは哲学的な命題と向き合いながら制作するものと定義しましたがロダンの作品はまさにそういうものでした。ロダンの時代ヨーロッパは繫栄と退廃を享受していました。日本のバブル時代のような感じでしょうかみんなパリピだったのですね。その時ロダンは人間の持つ愚かさや弱さ、苦悩を彫刻で表現したのです。それらの作品は今風に言えばKYですがホントはみんな虚しさを抱えて生きてたのでしょう結果ロダンはバズりました。そして時代の寵児となったのです。バブル崩壊以降ミスチルやスピッツ、くるりといったミュージシャン達が内省的な歌を作ってみんんなに受け入れられたのによく似ていると思います。そのロダンに影響を受けた作家として彫刻家、詩人である高村光太郎がいます。江戸時代から名人の仏師として有名だった父の子として生まれた高村光太郎は平田郷陽とよく似た出自だったのですがロダンの作品に出合った事でその運命が変わります。伝統的な父の名人芸を否定しながら死ぬまで作家とは何かという命題と戦うことになるです。そのような作家たちと平田郷陽の作品を見比べると郷陽の作品にはその哲学的命題というものを見つけることはできません。高村光太郎のように作家とは何か?人間とは何か?と悩んだ形跡はないのです。例えば郷陽の作品を代表するモチーフである子供や女性はあくまでも理想化されておりイノセントな存在として表現されています。国の外で沢山の殺人が行われている戦争の時代にあって郷陽の作品の人物たちは工芸品としての領分を頑なに守っています。まるで異世界の住人のようです。たしかに郷陽の作品は素晴らしいものです。それは卓越した技巧と洞察力の賜物です。それを見るだけでも価値のあるものです。しかしそれは完璧な美しさ故になにか空虚な造形物であると私には感じられます。ロダンは鼻のつぶれたおじさんや猿顔の芸者の像など作りましたがそれは一般的に美しいとは言えない造形物です、しかしそこにはその内に潜む人間の尊厳に迫ろうとする作家の目線があります。平田郷陽は名人、名工だとは思いますしかしロダンの迫ろうとした何かに彼が迫ろうとしたようにはとても思えません。この様に現代の視点から見れば平田郷陽が作家の要件に入っていないのではないかというのが私の私見です。ではこれほどの名声を手にした平田郷陽が人形作家でないのだとしたら何処に人形作家がいるのでしょうか?辻村ジュサブローの作品をテキストに結論を出そうと思います。
辻村ジュサブローはNHKの人形劇で一世を風靡した人形作家です後年は衣装デザイナーや漫画「ワンピース」のコラボ作品を発表するなど亡くなるまで精力的に活躍した人物です。その彼の作品の中で私が注目するのは「ヒロシマよりこころをこめて」という初期の作品です。作品は広島で戦災にあった作者の知り合い兄妹をテーマにした作品です。アニメ「火垂るの墓」に出ていたような兄妹がボロボロの衣装を着て立ちすくんでいます。この作品は発表当時非常なスキャンダルになったそうで人形にメッセージやテーマはいらないと酷評されたようです。しかしこの作品には人間の本質を見つめようとする作者の目線があります。また社会に対する強烈な怒り、絶望感、その中に兄妹の一片の愛情があります。この作品にはロダンに通ずる唯美主義を否定するリアリズムがあります。この作品を見ると生き人形が持つリアリズムが如何に外形的なものかがわかります、これこそ作家の仕事だと私は思います。この作品発表の後辻村ジュサブローは平田郷陽のような装飾的な布を貼り付けたデフォルマチックな作品へと変容していきます。しかしその作品は顔を含めた全ての部分を布で作ることにより顔と手を胡粉彩色で作った平田郷陽の作品に比べて質感が統一されています。確かに辻村ジュサブローは社会的な評価としては平田郷陽に及ぶべくもありませんがその作品は本当に素晴らしいものです。あれだけ酷評を受けた「ヒロシマよりこころをこめて」を個展のたびに飾っていたことから見ても辻村ジュサブローは平田郷陽をはじめとした工芸人形に対して強い対抗意識を持っていたからなのではないかと私は考えています。これこそ自覚的な人形作家として旧来の人形作家と一線を画した本当の意味での人形作家の登場であったのだと私は思います。
平田郷陽が亡くなって以降工芸人形はより工芸的な純化を深め反対に名人芸を必要としない手軽な表現手段としての創作人形の世界も広がっていきました。そして時代の変化と共に作家が向き合う対象は変わっていきました。しかし人形が人の形を作り続ける限り不変に人間というものを探索する作業であることは間違いないことです。今回は作家の歴史を通じてそれを明らかにしたつもりですが皆さんはどの様に思われたでしょうか?
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