怖い人形

 人形の仕事をしてると人形が怖いという人に出会うことがよくあります。横浜人形の家という観光施設があるのですがGoogleなどで検索をかけるとセカンドワードとして「怖い」というのがトップに出てきたりします。勿論横浜人形の家の展示は極めて穏当なものですし大半は愛玩のために作られた人形ですので不思議な現象だと思います。勿論古い人形や外国の人形などはその時その場所の愛玩に対する好みが反映されるわけですからその違和感が怖いという感情と結びついてしまうというのも納得のできる話です。しかし実際に「呪いの人形」というのもあるので人形が恐ろしい、おどろおどろしいものであることもまた事実だと思います。そこで今回は怖い人形について考察してみようと思います。

2023年渋谷区松濤美術館で行われた「ボーダレスドールは」近年珍しい人形をテーマにした展示でしたが印象的だったのは実際に使われた平安時代の呪いの人形が展示されていたことです。それはヒトガタに切り出した木札のようなもので顔と呪われる人の名とおぼしきものが墨で書かれていました。平安時代といえば映画でも有名な陰陽師(暦を作ったり祈禱をする役職)安倍晴明が活躍した時代でもありました。安倍晴明は狐の子供という伝説を持つ不思議な力を持つ人物だったらしく式神という紙で作った人形をお手伝いさんのように使っていたといわれてます。平安時代の人々はマジメに呪いというものを信じていたわけですね。しかし民主主義や資本主義も我々の共同幻想に過ぎないわけですから当時の人達の心根を馬鹿にするわけにはいきません。何しろ当時の天皇は呪いの禁止を法律で決めていたわけですから呪詛をしたら重罪だったのです。陰陽師が法律で廃止されたのは明治になってからですから呪いが迷信になったのはつい100年程前ということなわけですね。

呪いの人形というのは人の不幸を願うネガティブなものですが人の穢れを移して川に流す「流しびな」や子供の健やかな成長を願う「天児」などポジィティブな呪いの人形もあります。現在も東北地方で作り続けられているユニークな呪いの人形「人形道祖神」はポジィティブ系の呪いの人形ですが伝説の時代に遡るいわれを持つ人形ということから人形の持つ呪物としての側面を考察するのに好例です。以下ご紹介したいと思います。

「人形道祖神」は北関東から東北地方で作られる木や藁でできた人形です。藁でできたものは数メートルもある巨大なものもあり地域により形や名前も千差万別です。「人形道祖神」という名前はそれらの総称として便宜的に使われる名称となります。共通の特徴といえば村と外部の境界にそれを置き、村に悪いことが入らないように人形の持つ呪力に期待するというものです。江戸時代から平安時代にも記録が残っており全国各地にある石造りの道祖神やお地蔵さんもこれがルーツだと言われています。小松和彦さんが書いた「村を守る不思議な神様」という本に詳しく書かれているので興味のある方はチェックしてみてください。その本の中では古事記のエピソードであるイザナギが黄泉の国(死者の国)から脱出するときに黄泉の国をふさいだのが道祖神であったと紹介されています。このエピソードからあの世の扉を封じる程の強い呪力が人形にあることがご理解頂けるのではないでしょうか。

「人形道祖神」は人形の持つ呪力とはいかなるものか理解するのに良い材料になると私は考えています。結論を先に申し上げると人形は人間の持つ恐怖の感情の境界に出現するモノという性質を持っているということです。説明しますとこうなります。前述したように「人形道祖神」は村の境界におかれています、当時において村の外側は危険な動物や人、魔物が跋扈する怖いところだったわけですね。人形はそれらが村に入ってこないように守ります。イザナギがふさいだ黄泉の国の入り口は黄泉平坂(よもつひらさか)といいます。坂(さか)は堺(さかい)、境界という意味です。ここでも境界における人形の持つ呪力が強調されるわけです。古事記は日本で一番古い伝説を伝える書物ですので恐怖と境界と人形というの三つの要素は古くから日本人の意識の中に存在したということになるわけです。では境界と恐怖と人形という二つの事柄が人間の心の内でどの様に人形と結びつくのでしょうか、以下考察してみたいと思います。

前回紹介したウィニコットの説によると赤ちゃんは生後間もなく母親と精神的に境界の曖昧な状態に置かれていると考えました。生後4ヶ月ほどまでの赤ちゃんは視力が0.01ほどですから赤ちゃんが母体から手を離すとそこには視覚では捉えられない不安な空間の存在を感じることと思います。お化け屋敷で暗闇に放り込まれたとき視覚を奪われ手探りの中両手を暗闇の空間に伸ばしながら不安な感情に襲われた経験は誰でもあると思います。その時一緒に入った友達の身体を掴んで安心するように赤ちゃんも不安な感情に囚われたとき母親にしがみついて安心を得るのです。視覚と触覚の違和から生まれる恐怖の感情はこのようにして人間の感情に沈着していくのだと考えます。

ウィニコットにおける「移行対象」(前回参照)は母親の身体の一部の代替え物ですから「移行対象」の向こう側の空間は不安を引き起こす空間となるわけです、前回紹介した毛布を取り上げられたライナスの例えはその事を良く表していると思います。「移行対象」を失うとそこは恐怖の空間になってしまうわけですね。つまり人形の存在はその向こう側にある恐怖の空間存在を想起させるスイッチのような役割を果たしているというわけです。昔から日本人は目に見えない存在を恐れていました。怖い存在である鬼(おに)は元々穏(おん)と呼び隠れているもの、見えないものでありました。それを封じるために作られた人形が回りまわって怖いモノとみなされてしまうところに歴史の皮肉を感じざるを得ません。まとめますと怖い人形とは、元来恐怖を封じる目的で恐怖空間と人間の境界に置かれた人形が現代における視覚文化中心の世界観から見えないものに思いをはせることができない現代人の精神の変化により、恐怖の境界である人形そのものを恐怖の対象とするようになった現象ということがいえると思います。翻れば人形が怖くない人は人形の持つ呪力や背後にある見えないものを感じることが出来る感受性を古人のごとく持ち続けていると言えるのかもしれません。

最後に昭和の始め日本とアメリカの両国の親善のために両国で人形を送りあった親善人形について書きたいと思います。日本のアジア諸国への軍事的圧力を発端に敵視政策をとり始めたアメリカで、日米両国の関係を憂慮したアメリカの民間団体が親善のため日本の子供たちに向けて人形を送りました。日本もそれに応えて親善の日本人形をアメリカの子供たちに送りマスコミも取り上げる大きな行事となりました。しかし残念なことに両国はその後悲惨な戦争に突入していくことになるのです。このような歴史のエピソードも前述した構造をあてはめますと人形を両国の境界に置くことで返って向こう側にいる人々を恐怖の対象にする事になり事態を悪化させることになってしまったのかもしれません。信じるか信じないかはあなたしだいです。w

                           月光社 つじとしゆき



コメント

このブログの人気の投稿

「球体関節人形」と写真

第一期終了ご挨拶

玩具としての創作人形