四谷シモンについて考える
前回の投稿で人形作家辻村ジュサブローを取り上げたので今回は人形作家四谷シモンを取り上げようと思います。(本文ではいつも私が呼んでいるシモンさんで話をします。)なぜかと言うと私が人形作家を志したきっかけが彼の作品だったからです。学校に通っていたころ学校の近くに彼の作品を置いてある喫茶店があり放課後通っては何時間も作品の前でお茶を飲んだのものです。そしていつかこんな作品が作れたらいいなぁと思い続け、結果紆余曲折の末人形作家となることが出来ました。そんな自分の人生のターニングポイントになったシモンさんの作品について個人的な考えを書きたいと思います。
シモンさんは言わずと知れた人形作家です。功績としては球体関節人形というスタイルを日本に普及させたというのが大きいと思います。元々役者でもありますし絵や随筆も書くマルチなアーチストでもあります。篠山紀信が彼の作品を撮った写真集「人形愛」の発表はは工芸的な枠にとどまっていた創作人形をより広い大衆に向けて知らしめることになりその後に続く人形作家のロールモデルとなっていきました。その写真集のタイトルである人形愛という言葉を作ったのが澁澤龍彦と言う文学者です。人形愛という言葉は語源はギリシャ神話に依拠しています。そのギリシャ神話にピグマリオンと言うキャラクターが出てきます、ピグマリオンは自分の作った彫刻の女性に恋してしまい最後は神様の助けを借りて結ばれます。この物語のいわれから人形を偏愛することを「人形愛」と名付けたわけです。では何故澁澤龍彦の言葉がタイトルに使われていたかというとシモンさんの作品を高く評価していたのが彼だったからですね。シモンさんが特集されている当時の雑誌を見ると澁澤龍彦をはじめ版画家の池田満寿夫、美術評論家の種村季弘など当時のそうそうたる文化人が寄稿していますので如何にシモンさんの作品が衝撃的なものだったかわかると思います。今だったら平野啓一郎と村上隆と椹木野衣が推してくれるような感じでしょうかw。この様にシモンさんの作品は工芸を志向する事でステップアップする今までの人形作家の生き方以外にも別の生き方、例えばアートや文学といった文脈で作品を評価してもらうことが出来る事を証明したということで画期的だったのです。また文筆を通して自分の考えをを述べて作品の背景にある自分自身をアピールしたのも現代的な行動だっとと思います。作家が自分の好きな音楽や文学について語るのはSNSの現代では当たり前ですがシモンさん以前にそんなことを商業ベースで残した人形作家は多分いなかったのではないかと思います。この様な人形作家としての生き方が如何に今の人形作家のお手本となっているかご理解いただけたのではないかと思います。
そんなシモンさんとは「球体関節人形展」という展示でご一緒させていただくことになりました。(その時のお話はまた投稿したいと思います)その展示は球体関節人形というスタイルに絞った展示で当時球体関節人形を作っていた私も末席に座らせて頂きました。球体関節人形というスタイルを普及させたシモンさんは勿論メインの扱いでしたがそれ以上にハンスベルメールという作家と現代創作人形作家との関連性を強調していたところにこの展示の特徴があったと思います。ではハンスベルメールとはどんな作家だったのでしょうか、以下説明したいと思います。
ハンスベルメールは20世紀初頭から約70年を生きたドイツ人の作家です。沢山のドローイングやオブジェを残しましたが有名なのは彼の作った人形を写した写真でしょう。それは少女型の球体関節人形がバラバラにされ、時に不自然に接合され、荒れ果てた室内、寂しげな森の中で無残に放置されているというものです。シリアルキラーの犯行現場のようなサディスティックなヴィジュアルイメージは当時のシュルレアリスムという芸術運動をしていた人達に熱狂的に歓迎されました。シュルレアリスムというのは人間の持つ無意識というのを表現しようとした人達ですから悪夢のようなヴィジュアルイメージを愛したわけですね。有名なダリの絵画やルイスブニュエルと作った映画「アンダルシアの犬」はその悪夢のイメージが良く分かる作品です。映画の中では眼球を剃刀で切るシーンや死にまつわるシーンがたくさんでできます。シュルレアリスムがどうしてその様な表現にこだわったかと言いますと戦争の影響があったからだと思います。以前ロダンの時代のことを書きましたがパリピだったヨーロッパはその後全土が戦争になる地獄になったのですね、そこらじゅうもう死体だらけ、負傷して体のどこかを失った人だらけになったわけです。そうするとロダンの作った人間の尊厳を見つめる視点というのが怪しくなってきたわけです。人間てそんなに素晴らしいものなのか?人間てほんとは残酷で救いようもない存在じゃないのか?という疑念が起こってきます、弱くたってやっぱり人間て素晴らしい存在なんだというロダンの人物像を古いモノにしていったわけです。ハンスベルメールの人形は死体そのものです、そこには尊厳もへったくれもありません。ここには人間不信、社会への不信が色濃く表れています。これは今までヨーロッパ人の信じていた人間像を象徴していた彫刻というものの本質を根本的に揺さぶる結果となったのです。それがベルメール作品が凄いと言われるところなわけですね。そんなベルメールの作品は前述したように四谷シモン作品に大きな影響を与えたといわれています。しかし本当にそうでしょうか?私はあえてその定説に意義を申し上げたいと思いますので以下後述したいと思います。
シモンさんが球体関節人形というアイデアにたどり着いたのはハンスベルメールの人形写真を見たのが原因であるというのはシモンさん本人の書いたものでも確認出来ることです。「衝撃的」であったと書かれています。しかしシモンさんとハンスベルメールの人形には球体関節人形という外形的スタイルを除けばほとんど共通点は見出せません。ハンスベルメールの人形の持つサディズムやセクシュアリズムはシモンさんの人形には全くありません。シモンさんの作る人間は無性的で静謐です、人間不信の怒りや絶望はそこから感じることはできません。ではシモンさんはベルメールの人形のどこに衝撃を受けたというのでしょうか。考察してみたいと思います。
シモンさんは若き日より人形というものに取りつかれていた青年だったそうです。ノートにひたすら人形と書き続けていたと本に書いていますからかなりの重症だったと思います。推察するにその悩みとは人形作家とは何なのか?ということだったのではないかと推察します。前回の投稿の高村光太郎を思い出してください、職人ではなく作家になるとは心を病むぐらいの命題だったわけですね。その命題は彫刻家だけでなく画家、文学者含め明治以降の全てのクリエーターの命題だったわけです。そして明治のクリエーター達が到達した一つの答えが自分そのものを表現するということだったわけです。作家とは自由にものを発想し制作する者と前回の投稿に書きましたが明治時代には自由という言葉は「自分勝手な」「気ままな」というニュアンスがあった為自由という概念がイマイチ理解できなかったのですね。その中で当時唯一自由という概念に近かったのが「禅」という仏教の考え方だったわけです。禅は修行を通じて個人の心の開放を目指す宗教ですから人の目を気にせず「私」という個人に向き合うことができたわけです。KY上等って感じですw。禅は武家の必修科目でしたので当時武家出身の多かった文学者や画家は自然とそれらの考えを自分のものにしていきました。それは文学では私小説、絵画では自画像という表現に結実していきます。自分の事を表現するのは現在の私たちが想像する以上に大変だったというわけです。そして自分を表現するというアイデアはシモンさんが唱える人形理論「ナルシシズム」となって人形の世界にも影響を及ぼすことになっていきます。
「ナルシシズム」というのはギリシャ神話のエピソードに出てくるナルシシスと言うキャラクターが語源です。呪いをかけられたナルシシスは水面に映った自分に恋してしまい動けなくなってしまいます。しまいにはそこに咲く水仙に同化してしまうというお話です、転じて偏執的な自己愛を「ナルシシズム」というようになりました。シモンさんの言う「ナルシシズム」という概念は理論というほど複雑なものではありません「すべての人形は作者の似姿である」これだけです。つまり人形作家の作った作品は文学における私小説、絵画における自画像のようなものだと言い切ったわけです。これがシモンさんの出した人形作家とは何なのかという答えになったということです。またナルシシスの語源になったナルシコスという言葉は麻痺を意味しているといいます。物語の中で動けなくなったナルシシスのようにシモンさんの作品の前に立つと麻痺するのです。冒頭に紹介した若き日の私はまさにそんな状態だったのでしょうまさに時間を忘れて人形に見入っていました。話を戻しますとこの様な考えは当時の人形シーンにとって画期的なものでありました。自分を自分の作品に仮託するなどということは今までないことでしたから。しかしこの様な考えは如何にベルメールの作品と関わっていくのでしょうか?考察を続けます。
私はハンスベルメール作品の球体関節という外形に注目します。そして一つの連想として大正時代に登場した球体関節を持った市松人形「自由人形」を思い出します。自由人形は多分ヨーロッパのべべタイプビスクドールのボディーに想起を得て作られたものだと思います。想像ですが大正デモクラシーの開放的な雰囲気と自由に可動する手足からそう名付けられたのだと思います。このように球体関節人形は「自由」という連想と結びつくものでもあったわけです。前回の投稿で作家とは自由に創作をする存在であることを説明しました。急ぎまとめますとハンスベルメールがシモンさんに与えた衝撃とはつまり「自由になること」、「自由に制作すること」それが作家になる道であったことに気が付いたということにあったのではないかと私は考えます。それを発端に文学や絵画における作家というスタイルを人形に取り込み現代的な作家像を生み出した。これがハンスベルメールがシモンさんに与えた影響だったというのが今回の結論ということになります。
今まで書いてきたことはご本人に確認とってないので私の妄想が半分ぐらい入っているのは認めます、しかしハンスベルメール作品やシュルレアリスムと安易にシモンさんの作品を結びつけるということには私は反対です。前述したようにシモンさんの作品とベルメールの作品にはほとんど共通性は見られません。その様な影響は球体関節人形展をご一緒した作家ですと吉田良さん、山本じんさん、はじめ他の出品作家の作品の中に強く感じることができるからです。吉田良さんの写真集には解体された少女人形が出てきますし、山本じんさんは体中にガラス片の突き刺さった人形を作ったりしています。恋月姫さんはインタビューで自身はシュルレアリストであると称しているわけですから解説の必要はないと思います。
私は何で人形作家になったのかと問われたとき「自由だから」と答えることにしています。これは学生時代に初期衝動を突き動かしたシモンさんの人形が私に託したメッセージだからです、今回シモンさんの人形を考察する事で改めてその事を再確認することができました。常識にとらわれず好きなや作家さんについて妄想するのも人形における「自由」であると私は思います。皆さんもたまには好きな作品について妄想の翼を広げてみてはいかがでしょうか。
月光社 つじとしゆき
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