人形の身体表現
人形はヒトの形と書くように人間の身体表現を主なものとして発達してきた表現です。そこで今回は人形がどの様な身体表現をしてきたのかを幾つかの本を参考にして考察してみたいと思います。中心となるのは谷川渥著「肉体の迷宮」、岡本真貴子著「裸形と着装の人形史」です。「肉体の迷宮」という本は西洋彫刻と人形を比較することで論旨を立てているの内容なので本題に入る前に先ず西洋彫刻の歴史について簡単に説明したいと思います。
先ず参考にするのはケネスクラーク著「ザ・ヌード」という本です。この本は西洋美術全般において裸体というものがどの様に扱われてきたかについて記した本です。本の冒頭で以前の投稿で紹介した先史時代の小さな人形「古代の女神」から話は始まるのですが西洋彫刻において原点となるのはやはりギリシャ彫刻となります。古代ギリシャにおいて花開いた裸体の表現は元々東方において発展した裸体の表現を下敷きに古代ギリシャ特有の思想と結びついて独自の表現に到達しました。その古代ギリシャの思想というものを簡単に説明しますと世界を作った神様は完璧なのだからこの世界は完璧で整っていることが神様の意思に近づけるという考えです。では完璧で整っているとはどういう事かと言いますと数学的に美しいという事であると彼らは考えました。そこで理想的な人間のバランスとはどういうものか数学的に考え理想的な人体のバランスを考え出したわけです。レオナルドダヴィンチの書いた円の中で手を広げたヴィトリヴィウス的人間という人物像を見たことある方もいると思いますがあれはそういう考えを表しているのです。そんな美しい古代ギリシャ風の彫刻はその後覇権を握った古代ローマにも受け継がれて沢山の古代ギリシャ風の彫刻が作られます、しかし只の物まねにとどまらず顔だけは肖像彫刻というものを作る要求からリアルな人間の表情を作るようになっていきます。時代が下りキリスト教がローマの国教となりますとあんなに流行した彫刻のブームは終了します。なぜかと言いいますとキリスト教は肉体というものを素晴らしい物とは考えない宗教だったからです。そしてローマが滅び中世というキリスト教が政治や社会の規範となる時代となると人体の表現はどんどんアンリアルな表現になっていきました。それから数百年たち古代ローマの栄光がはるか昔になった頃イタリアでは都市開発のブームが起きます、家を建てる為に土を掘り返すとどうした事でしょう古代ローマの大理石彫刻がゴロゴロ出てきたのです。そして偶然にもその現場に居合わせたのがその後の西洋彫刻の基礎を作り上げたアーチスト「ミケランジェロ」だったのです。しかし発掘された彫刻は当時塗られていた色も剥げ、細い手や頭も壊れていましたでもその壊れた不完全な状態をカッコイイ!とミケランジェロは考えました。手も頭も無くてもカッコイイということは彫刻の大事な部分って胴体にあるのでは?と考えて非常に胴体を誇張した彫刻を作り上げたのです。ルーブル美術館にあるニケ像やミロのビーナスも身体の欠損がありますが胴体が素晴らしい故に傑作なのです。この様な西洋彫刻のの胴体への偏愛という規範を最初に作ったのが「ミケランジェロ」というわけです。この西洋彫刻における胴体の偏愛についての考察から人形の身体表現について考察したのが「肉体の迷宮」という本なのです。
結論を先に言いますと「肉体の迷宮」という本は彫刻と人形を対称的なものと定め西洋彫刻が胴体に重きを置くのであれば人形は反対に胴体以外のパーツ、例えば手や顔を重視するのではないかという事が述べられている本です。この手や顔を重視する姿勢は谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」という日本文化を考察した本が根拠となっています。本の中で谷崎は幼少の頃彼の母は着物からのぞいた顔と手だけの存在だったと書いています。昔の薄暗い家屋の中の白い肌の母の顔とその手の印象は胴体の無い手と顔だけの文楽人形と似ているのだという考えに発展して日本女性には胴体を語る文化がないという結論に至ります。谷川さんはこの話を下敷きに西洋的であることは彫刻的であり胴体の文化、翻って日本的であることは人形的、反胴体の文化というように整理して見せました。確かに最近の創作人形では何らのオブジェのようなものに顔と手がくっついている作品をよく見かけますがこれも谷川さんの説を何か裏付けてるような気もします。しかし人形の歴史を紐解いたとき谷川さんの説は正しいと言えるのでしょうか?以下「裸形と着装の人形史」を見ながら考えてみたいと思います。
「裸形と着装の人形史」という本は衣装と人形の関係から人形の身体表現がどの様な発展をみせたのか?という事を研究した本です。この本では古来日本において衣装また布というものがいかに日本人の信仰に重要な役割を果たしてきたかという事を一年ごとに新しい服を着せていく東北地方の人形「おしらさま」や着装する仏像の実例を引きながら説明していきます。ここから導き出された結論は布や服の持つ神性を着装するということで発現させる人形という存在という事になります。そして着装という行為を実現させるため人形の手足はおのずと可動するようになって次第に遊びの人形(着せ替え人形)へと発展していったのです。この服と身体という事に着目した本に増渕宗一著「人形と情念」という本があります増渕さんは西洋彫刻の身体に張り付いた薄布や水着は身体の表現を際立たせる効果を持ち、翻って衣装人形における服とは身体の表現を隠すものとして機能しているという事を指摘しています。このように「服に隠される宿命を負いながら着装という目的のために発達してきたのが人形の身体表現」の歴史であるということがこの二つの本が導き出した結論だと思います。「肉体の迷宮」において提起された人形の反胴体は着装という行為においてむしろ重要な役割を担っていたわけです。なので敢て人形と彫刻の身体性を比べるのならば彫刻は主に裸体表現を目的として制作され、人形は主に着装表現を目的として制作される、くらいが穏当な比較のような感じがします。ではこの様な歴史の前提から戦後の球体関節人形がどの様な身体表現発展をしてきたのか考察してみたいと思います。
大正期にハンスベルメールの人形写真が日本に紹介されてから戦後になってハンスベルメールに影響を受けて土井典さんや四谷シモンさんが「球体関節人形」を作り始めました。彼らの作品において共通しているのはビスチェやストッキングという衣装です。増渕宗一さんは水着や濡れた薄布のようなボヂィーコンシャスな衣装はは西洋彫刻の身体表現を際立たせるものと定義しましたがビスチェやストッキングはまさに球体関節人形の身体性を誇示する新たなアイテムだったと思います。この事から「球体関節人形」は衣装に隠された身体ではなく彫刻の様な身体そのものを表現するという意図があったことが類推できると思います。この様な身体性が以前投稿したナルシシズムの人形理論と結びつくとそこには作者と身体的に地続きの物体としての人形というものが立ち現れてきます。証拠に四谷シモンさんは自らの年老いた姿を作品にしています。人形も年を取るわけですね。しかし年をとるに飽き足らず遂に人形は死をも表現するようになっていきます。元々命の無い人形が死ぬとはどういうことなのでしょうか?以下まとめたいと思います。
身体の表現を追い求めた西洋彫刻は古代において既に死というテーマを表現しています。ラオコーンという有名な彫刻は死に苦しむ身体をドラマチックに表現しています。ミケランジェロはピエタという作品をはじめとして様々な死の表現を作品にしています。日本の人形においては戦前の生き人形興行における残酷な死の表現は有ったものの創作表現として明確に死を表現したのは私の知る限り三浦悦子さんがはじめてだと思います。フランケンシュタインの花嫁という作品をメインに据えた個展においてフランケンシュタインという死体から生み出された怪物をテーマに生物と無生物、生と死という主題を球体関節人形と医療器具とのアッサンブラージュで表現していました。時前後して恋月姫さんが世界一美しいミイラと言われる「ロザリアロンバルド」を彷彿とさせる眠り目のビスクドールを制作しまさに死を表現して見せました。現在においては愛美さんが個展「人形塚」において死んで朽ち行く肉体を九相図のごとく表現しました。この様な死の表現がどのようにして生まれたのかについて確かなことは分かりません。しかし漫画の世界において現在のような複雑な表現を獲得したきっかけは手塚修虫が物語において死を書くことができたからだと言われています。戦前流行した漫画のキャラクターは銃で撃たれようが刀で切られようが死ぬことはありませんでした。キャラクターは身体性を持たない記号のようなものだったのです。翻って手塚のジャングル大帝という作品では主人公のライオンが死んで自らの毛皮で人間を助けるシーンがでてきたり。ブラックジャックという作品ではいかにもマンガと言った手塚のキャラクターが手術で内臓や筋肉のある存在として描かれるのです。これによって漫画のキャラクターは実在の人間のような身体性を獲得し悲劇というものを描くことができるようになりました。日本の創作人形において肉体の死を表現するようになったことはまず「球体関節人形」が身体の表現として立ち上がったというのが大きいことだったと思います。そしてその肉体は老いや死をも表現することで他の表現ジャンルと同様なドラマを表現することが可能になりました。このようなことは日本の「球体関節人形」のスタイルがもたらした世界的にも珍しい一つのエポックだと私は考えています。
この様に見ていくと日本の創作人形における1990年代からのファッションドールの流れは先祖返り的な人形の身体性の回復と言えるかもしれません。私が人形制作を始めた90年代初頭「球体関節人形」のメインは裸体を中心とした表現でした。当時の私はその様な流れへの反発からファッションドールという表現を選びました。数十年たち今は裸体の表現の方が少数という感じがします。そんな中今後どの様な表現が出てくるのか?人形の身体をめぐる物語はまだまだこれから続いていくことでしょう。
月光社 つじとしゆき
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