玩具としての創作人形

 前回ハンスベルメールと遊びについて書いたので創作人形と玩具について書いてみたいと思います。玩具にについて考えるためには先ず遊びとは何なのかという事について書かなければならないので以下説明したいと思います。

遊びの研究というとホイジンガという人が一番有名です。遊びというのは社会において暇つぶしのようなものですからホイジンガ以前にマジメに研究する人はいなかったのです。西洋文明の基礎となった古代ギリシャの哲学者たちでさえも遊びを心身をリフレッシュするためのものぐらいにとらえていたので無理もないことでした。そんなホイジンガがなぜ遊び研究の第一人者になったかといいますと人間の文化とはそもそもどうして生まれたのか?と設問を立てたうえで研究、考察しすべての文化は「遊び」から生まれたという結論に達したところでした。文化というものは人間と動物を分別する指標になるわけですから「遊び」は人間に与えられた特別な生物学的な特徴になるわけです。ホイジンガはそんな人間の特徴をホモルーデンス(遊ぶ人)という言葉で表しました。そんなホイジンガは様々な遊びの要素を分類して遊びの特徴を定義づけしました。1 遊びは自発的に行われる。(誰かに命令されてやるものではない)2 遊びは日常の外側で行われる(子供部屋、公園、スポーツスタジアムなど)3 何らかのルールがあるそしてそれに従う。4 遊びとは緊張と興奮を喚起するものである。そしてそれは勝敗などの結末をともなって解放される。簡単に書くとこんな感じです。何でこんなに簡単かと言いますと複雑に書くと全ての文化活動の原点が「遊び」と言えなくなってしまうからなのです。後に遊びの研究をしたカイヨワやフィンクなんかはそんな隙間を上手に埋めるようにしてホイジンガの研究をブラッシュアップしていきました。ですので本稿ではその人たちの考えを総称して「遊びの理論」と呼ぶことにします。では具体的に幾つかの例を挙げて遊びと文化の関係を見てみましょう。条件は先述した番号と対応します。例1。条件1子供たちがサッカーをします。彼らは誰かに命令されたわけではありません。条件2彼らはサッカー場でサッカーをします。条件3彼らは足のみでボールを操りボールをゴールに入れようとします。ゴールに多くボールを入れたチームが勝ちます。条件4おたがいゴールにボールを入れあい白熱したゲームになります。時間がきて勝負が決まりゲームは終わります。宗教でも例えられます例2 条件1ある教えを信じる者が自発的に集まります。条件2彼らは教会に集まります。条件3彼らは経典の教えにのっとって儀式をします。条件4儀式がクライマックスに達すると人々は教えの通り暮らしてきたか自分を採点します。時間が来ると儀式は終わります。こんな感じでありとあらゆるものは遊びの構造の中にあるという事です。では遊びの理論の中で玩具とはどの様な役割を持つのでしょうか・以下考察します。

玩具というと積み木やトランプなどを想像しますが「遊びの理論」が想定している玩具というのはサッカーにおけるボールやユニフォームであり宗教においては経典や聖像となるわけです。じゃんけんにおいては手が玩具で睨めっこでは顔が玩具というわけです。この様に玩具というのは遊びを誘発するマジックアイテムみたいなものです。ある玩具が目の前に現れると自動的に遊びの空間が生まれるのです。人形を例にとりますと教会にそれが置かれれば聖像となり崇拝の対象になるでしょうし、女の子の部屋に置かれればままごとの相手になる、そんな感じです。先述したとおり「遊びの理論」では先ず遊びがありその付属物として玩具が現れます。玩具はあくまでも遊びを誘発するスイッチという役割です。しかし原始的な生活を行う人々を観察するとそうとも言えない事態があることが分かってきました。それを物神崇拝といいます。

「遊びの理論」では全ての文化活動の根本にに「遊び」があると考えます、その中でも古来より宗教は人間の社会活動の根本を支えてきたものですから遊びと宗教との関連性は「遊び」が全ての文化に根本にあるというアイデアの証明のようなものです。宗教においての玩具は儀式に関わる道具の全てですが神の姿を表した「偶像」は特に重要な玩具であると言えます。偶像とは本来教義をビジュアルとして説明する為に作られたものだったので当初仏教でもキリスト教でも偶像は人の形ではありませんでしたが時代が下るにつれて人の形を取るようになっていきました。人の形には人を惹きつける魅力があるのでしょう皆が字を読めるわけではなかった時代文字の解らない人達に向けて作られた偶像は宗教の教義を超えて人々の信仰の対象になっていきました。しかしそれは「偶像崇拝」という批判となって現れ偶像はあくまで物であってそれ自体が崇拝の対象ではない事が明確になっていくのです。そしてヨーロッパは厳格な宗教の支配する時代となっていきました。15世紀になりヨーロッパが大航海時代になり西洋人がアフリカやアジアの原始的(ヨーロッパ人の偏見ですが)な生活を送っている人と接するようになると物そのものを信仰対象にしている人たちに出会うようになります。その物とはただの石や木でそれは神そのものとして崇拝されていました。西洋人にとって神様とは壊れてしまう物ではなくもっと立派な何かでしたからその習俗は衝撃的なことだったのです。そこで物そのものを神様とすることを西洋人は「物神崇拝」と呼んで自分達の信仰と分別する事にしたのです。実はこの「物神崇拝」というものは日本では馴染みのあるもので山を神様に見立てる山岳信仰やアニメ映画「隣のトトロ」に出てくる鎮守の森も物神崇拝の一種です。物神崇拝は教義(遊び)に先立って物(玩具)が現れてくるわけですから玩具が必ずしも遊びの従属物であるとも言えなくなってしまうわけです。であれば全ての文化は初めに「モノ」在りきという事かもしれません。聖書では初めに言葉在りきと書いているわけですが実際はあべこべだった可能性もあるわけです。

「遊びの理論」では「遊び」が人間の持つ特権的な生物学的な特徴と捉えましたが現在では様々な動物が「遊び」としか見えない行動をとることが知られています。サルも鳥もイルカも皆遊びます。しかし遊ぶための玩具を自らの手で作り上げる動物は人間以外にはありません。道具を作る動物はいても玩具を作りだす動物は人間だけなのです。このように考えると人間の知的活動の諸元には遊びに先立って玩具があったという事もあり得るのです。以前の投稿で紹介した1万年以上前に作られた古代の女神という人形はその証拠の一つだと私は思います。では現代創作において玩具や遊戯とはどの様な関りがあるのか考察してみたいと思います。

先述したことから言えることは人形には二つの類型が存在するという事です。宗教の例えで説明しますと教義(遊び)の為に使われる人形である「偶像」と信仰(遊び)を生み出す存在である「物神」です。例えばアニメのキャラクターを立体化した人形、フィギュアなどは先立つ物語を説明する為に作られたものですから「偶像」でしょうし創作人形全般は人形の新しいスタイルを創造することによって新しい文化(遊び)を作ろうとすることですから「物神」と言えると思います。ハンスベルメールがもたらした「球体関節人形」という文化の創造はまさに「物神」と言えるような魔術的な何かを秘めていると思います。古来人形そのものを崇拝対象にしていた日本には「球体関節人形」を「物神」として受容するという土台があったので創作人形の文化が花開いたのだと私は考えています。しかし全ての創作人形が「物神」としての性格を持っているかというとそうとも限りません。前回の投稿でもふれたとおり「球体関節人形」には作品実体の裏側にイメージや物語が付随しているのでそこから生まれた概念やスタイル(教義)を説明的に表現するだけの人形であればそれは「偶像」という事になってしまうという事です。創作人形の世界にも沢山の「偶像」が溢れています。「偶像」は表現すべき何かを外部に持ちますからそれだけでは自立した表現になりえません、結果としてその元ネタ(教義)を共有するものだけのコミュニティーの中にのみ「偶像」の居場所がある訳です。この様に現代創作人形というものは玩具の中に「物神」というものを如何に見出し人工的に作り出すかという試行錯誤の結果が作品という形に結実したものであると言えると思います。

今回は遊びと玩具から創作人形について考察してみました。本文でも書いた通り遊びはいつか終わります。遊びの終わりと共に玩具は捨てられ、新しい遊びが始まればまた新しい玩具が生まれます。人形の歴史はまさにその様なサイクルを見事に表現していると思います。人形が壊れやすい素材で作られているのはそのような運命の暗示のように感じる事もあります。しかし人形店に立ち寄ってアンティークドールを眺めていると100年もの年月を生き抜く人形もあるのです。そんなアンティークドールの故郷であるフランスではルーブル美術館の芸術作品が戦争の惨禍を避けてみんなの力で現在まで残ったというのは有名な話です。しかし当時の人形達は政治の力など借りず人形を大事にしていた一人一人が守ったのです。でも大事に守った人形も戦争が終わって新しい人形の時代が来たら古道具屋に売られてしまいました。このように現在作られている沢山の創作人形もいつかは同じ運命をたどることになるでしょう。ですから人形店に佇むアンティークドールたちのように100年の時を超える現代創作人形作品がいくつ残るかは誰にも分かりません。でも人形を愛する人達の気持ちがそれを支えているからこそそのような奇跡が起こるのだという事を人形作家は忘れてはならないのだと思います。人形は儚いが故に美しいのです。

                           月光社 つじとしゆき




コメント

このブログの人気の投稿

「球体関節人形」と写真

第一期終了ご挨拶