ファッションドールについて考える

 前回ファッションドールについてチョット触れたので今回はファッションドールについて書いてみようと思います。但し伝統的な人形におけるファッションドールについてというよりも前回紹介した「球体関節人形」に繋がるスタイルとして現在隆盛を誇っている着せ替え人形(ファッションドール)について書いてみます。

そもそもファッションドールは19世紀ヨーロッパで生まれた流行のファッションスタイルを宣伝する為に作られた人形のことです。今でいえばマネキンみたいなものですね。当時服は全てオーダーメイドでしたから今のようにお店で服を選ぶことができなかったのです。そこで仕立て屋さんが人形をもって営業していたわけです。「こんな服いかがでしょうか」みたいに。しかし人形の出来も良かったので次第に人形も売るようになりました。そんな中ヨーロッパでは日本ブーム(ジャポニズム)が起こります。日本の陶芸や浮世絵がゴッホやガレなどのヨーロッパのアートに影響を与える中、日本の市松人形もファッションドールに影響を与えます。皆さんご存知のべべタイプというファッションドールが生まれたのはこの時です。べべタイプというのは4頭身のいわゆるアンティークビスクドールと言われるあれです。市松人形によくバランスが似てますよね。この西洋アンティークドールがその後実に100年という時を越えて日本の創作人形に影響を与えることになります。

西欧に対する憧れのような気持ちは明治以降日本人の深層に沈着したトラウマみたいなものでした。太古の昔から日本人の憧れの国はお隣の大国中国でした。アートも政治も考え方も中国風がCOOLだったのです。しかし江戸時代末期に色々あって中国は落ちぶれてしまうのですね。それでこれからはヨーロッパがいいじゃん!となったのです、そうなるとアートも政治もヨーロッパ風となります。文豪の森鷗外も子供達にオットー、マリー、フリッツ、アンヌ、ルイなんて名前を付けたりしてますので当時の雰囲気がご理解いただけると思います。そんなことでしたから人形もヨーロッパのもの特に「フランス人形」は子供のあこがれる物の代名詞となりました。そんなフランス人形の実物に庶民が接することができるようになったのは日本の敗戦以降の高度成長期となります。海外旅行がブームとなり誰でも憧れのフランスにも行けるようになりました。するとどうでしょう憧れのフランス人形がガラクタ市でダダ同然で売られているではないですか!日本人はせっせとそれを買いあさり沢山の西洋アンティークドールが日本に入ってくることになったのです。何でこんなことになったかというと当時ヨーロッパの子どもたちはプラスチックでできたアメリカの人形を愛していたのでビスクドールはまさにガラクタだったのです。今では数百万円もする西洋アンティークドールですが骨董マーケットで人形の地位を上げたのは日本人のフランス人形へのあこがれがあったからなのです。1980年になる頃には西洋アンティークドールを取り上げた本、人形店、美術館などができてきました。マーケットは世界的に成熟し西洋アンティークドールはガラクタ屋で買えるようなものではなくなった行きました。みんな欲しい、でも買えない、なら作っちゃえ!ということでアメリカで生まれたのがリプロダクションというホビーです。教室に通えば憧れのフランス人形が手に入るのですからリプロダクションは当たりました。そして日本にも幾つかのルートを通じて西洋アンティークドールを作るホビー、リプロダクションが入って来たのです。そしてそのルートの中の一つに前回投稿した「球体関節人形展」に出品していたよねやまりゅうさんという人形作家がいたというわけです。そして基礎的な技術や材料の手配などの基本的なことがよねやまりゅうさんから広がっていくわけですがその技術に早くから接していたのが同じく「球体関節人形展」に出品していた三輪輝子さんという作家でした。三輪輝子さんは当初からリプロダクションをホビーではなく純粋にビスクドールを作る技術として吸収しオリジナルな創作人形を作り上げました。それは今では普通に創作人形のカテゴリーとしてビスクドールと呼んでいるものです。三輪輝子さんが創作ビスクドールの第一人者と呼ばれるいわれはここにあるわけですね。では三輪輝子さんとはどの様な作家でしょうか?以下説明したいと思います。

前回の投稿で「球体関節人形」には様々なイメージが付随している事を説明しましたが三輪輝子さんの志向した創作人形とはそういうものではありませんでした。それは子どもの頃憧れたフランス人形を新たに創作人形というフォーマットで作り上げるということであったと思います。なので前述したべべドールのような着せ替え人形(ファッションドール)というスタイルになったのは当然の事であったと思います。また制作方法も西洋アンティークドールがそうであったように工房を立ち上げて分業制作をしていました。徹底してますね。三輪輝子さんがそんな活動を始めた頃日本はバブル時代という浮かれた時代に突入していました。「球体関節人形」にはベルメール作品の持つ影響を背景としていますので人間不信や死という影を背負っていました。なので表現として浮かれた時代にマッチしていない過渡期にあったと思います。そんな時に天野可淡さんの事故死という不幸が起こります。そして「球体関節人形」の中にある前述した影の部分に改めて焦点が当たることになりました。皮肉にも天野可淡さんの残した人形を通して「球体関節人形」は改めて原点回帰するエネルギーを得たのです。「球体関節人形」が様式として完成したのはこのタイミングだったと私は考えます。話がそれましたのでファッションドールに話を戻します。

以前の投稿でロダンの時代の話を書きましたが西洋アンティークドールが流行したのはまさに浮かれた時代でした。ビスクドールというのはそういう浮かれた時代と親和性があるのです。三輪輝子さんの作品は「球体関節人形」の持つ死のイメージを持たない、人形が本来持つ愛玩性や装飾性にあふれたものです。この作品性は旧来の「球体関節人形」を愛好する人たちにとってはあまり面白いものではなかったと思います、しかし新しく創作人形に接した人には非常に新鮮な体験だったのです。当時の私もその一人です。またビスクドールはモールド(石膏型)を使用して作るものですから量産が利き、焼成するので高級感もあり汚れもつきません。着せ替え人形を作るには最高の素材なのです。さらに生産管理をしっかりやれば非常に儲かるものでもあります。デビュー当時ベテランの人形作家さんに「つじさんは普段何やってるの」と聞かれたことがあります。(生計をどう立ててるのかという意味ですね)「人形作ってます」と答えたらビックリされたことがあります。つまり人形の販売だけで生活するなどそれ以前はまれなことであったということです。三輪輝子さんの作ったビスクドールの世界は若い作家に経済的な土台を作ったということも忘れてはならない功績があるのです。ファッションドールの登場は経済的に自立する人形作家を格段に増やしたという意味で人形シーンに一つのエポックを作ったといえるのですね。

しかし職業的に制作するということは顧客のニーズ、作品を扱う人形屋さんのニーズに応えることでもあります。これは以前投稿した作家の要件である自由に作るということに反しますからファッションドールを作るということは職能に近い部分もあります。ファッションドール作品はそういう意味で今でも偏見の中にあると思います。球体関節人形展でご一緒した恋月姫さんの作品はファッションドールと「球体関節人形」のスタイルをマッシュアップして新しい作品世界を作り上げました。完璧ともいえる厳密な美意識がその作品を貫いています。しかしその素晴らしい作品でも着せ替え人形である限りお客様が服を着替えさせてしまえば作者の作りたい美意識はそこには届きません。ここにファッションドールというスタイルの一つの限界があります。しかしそれがゆえにファッションドールはお客様が創作人形という表現に「着せ替え」という行為を通じて作者の表現に参加することが出来るという表現行為であるともいえるのです。私の作品を購入したお客様も服を着替えさせた写真を嬉しそうに見せてくれます。その時自分の作品はお客様の作品になったのだなと思ったものです。これは飾って見るだけのアート作品にはないファッションドールならではの感動であるとます。私はファッションドールのこの様な側面を積極的にとらえています。アート作品でも市井の人々と作品を作り上げるアート作品がありますので「着せ替え」による作品の変容は悪いものではないと思います。勿論人形作家の中にはお客様に服を着せ替え無いように申し付ける作家さんがいるのは承知していますのでどちらの言い分がファッションドールという表現にマッチしているかはこの記事を読んだ方々にご判断いただけたらと思います。

このように現在創作人形作家にとってファッションドールとはこの様な様々な矛盾を抱えながらクリエイティブを成立させる非常に難しい表現になってしまったというのが私の見立てです。着せ替え人形というだけっだたら量産品の「ドール」でも充分可愛いですし、堅牢です。カスタムができるので好みのタイプに改編も可能です何しろ作者の余計な思い入れが有りませんから自由に遊べます。創作人形の造形マインドを充分に理解した造形師さんが現れたら将来的に創作人形のファッションドールの出番は無くなってしまうのではないかと思います。「球体関節人形」というスタイルは天野可淡さんによって原点を確認しその命脈を現在につなぎました。ではファッションドールの原点を気づかせてくれるのは誰なのか?これが一番私の楽しみにしていることの一つなのです。

                            月光社 つじとしゆき


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