デジタル技術と人形

前回の投稿で3Dプリンターについて 触れたのでデジタル造形技術について書いてみたいと思います。しかし私はデジタル造形技術で実製作したことはないので詳しい事は書くことができませんのであくまでも一般論として人形とデジタル造形技術について考察してみたいと思います。

私は工業高校で学んだ若者でした。当時多くの工場でプログラムを利用した機械工作は一般的なものでしたので初期のデジタル造形技術を学校で学ぶのは必須のことでした。当時は三面図という図面で品物の形状、全体各部分のサイズを正面、横、上の角度から書いた平面図を設計図として紙などで描きそれを基に手作業やプログラム(昔の特撮で出てきた紙テープで記録するあれです)で機械を使って品物を作っていました。しかし私が高校を卒業してほどなく紙で描いていた設計図が簡単にパソコンのディスプレイ上で描けるようになり、すぐにそのデータを利用して仮想空間に品物の立体データを生成できるようになりました。これまでは新しい造形物を作る時木などを使って試作品を作りそれを一度実寸してから設計図を仕上げていたのでこの様な技術の転換期に私の若者時代はありました。20代前半私は造形会社でその様な試作品を作る仕事を始めます、工場では身の回りにある工業製品の原型がまだ人の手を使って作られていました。タイヤの溝のパターンを職人さんが樹脂材料から手彫りで削り出しているのですから本当にびっくりしたのを覚えています。工業製品の原型制作とは当時この様な職人技が幅を利かせていた訳ですからデジタルモデリングは驚異的な技術だったのです。私が見た職人さんの中には図面すら描かずからくり玩具の原型を作る驚くべき職人がいましたが仮想空間のシミュレーション設計を使えば誰でもその職人同様のことを行うことも可能なのです。またその仮想空間上のシミュレーションモデルを現実の世界に出現させる出力装置であるロボット切削機や3Dプリンターの登場はデジタルモデリングの可能性を目に見える形で私たちに示しました。特に3Dプリンターは家庭でも使えるほど安価な製品として進化し家庭で手軽に工業製品レベルの品物を手にできるようになりました。では3Dプリンターとはどのような機械なのでしょうか?以下簡単に説明します。

3Dプリンターの原理は実は簡単なものです。「可塑性のある物体を硬化させながら積み重ねて造形する機械」これだけです。でもこれではそっけないので一つの例え話をします。あなたの目の前に一本の人参があります、あなたはそれを薄く輪切りにします、その薄切りのパーツは再度合体させれば一本の人参に戻りますね。コンピューターは仮想現実の中で仮想の立体モデル(この場合は人参)を薄切りのパーツに解体し何かの条件で固まる物質(樹脂、金属など)の物性を利用しながら薄切りのパーツを積み上げ(再度合体し)、仮想の立体モデルを実体のあるものとしてつくりあげます。これはコンピューターとプログラムが機械を通して作り上げる現代の魔法ですが実は埴輪も似たような方法で作られています。勿論埴輪の時代にコンピューターはありませんが埴輪も一段一段とひも状に伸ばした粘土を輪の形にしそれを積み上げて円筒の立体物にしていくのです。埴輪という字は埴(土)を輪の形にして作った物という意味ですからまさに古墳時代の3Dプリンター造形物と言ってよいかもしれません。www

デジタルモデリングの技術は原型制作ばかりでなくアニメーション制作にも大きな影響を与えました。いわゆる3Dアニメーションというものです。以前の投稿でも紹介したアニメ映画「トイストーリー」は劇場版で初めて全編3Dアニメーションで制作された作品です。この3Dアニメーションというものは仮想空間にある立体物を動かすことで作られています。この仮想空間の立体物という技術は実際に造形物を作るのに使う技術と原理的には同じものです。元々工業製品を作るための技術であったため当初今までのアニメのような自然物を表現するには不向きでした。ですが工業製品である人形を主人公にすればその弱点をカバーできます、それで人形達の物語「トイストーリー」が出来上がったというわけです。アイデアの勝利ですね。現在ではハードもソフトも向上したので3Dを使ったディズニーアニメは生き生きとした人物や自然を表現できるまでになっています。この様な精巧な仮想の立体物は今や実際の俳優と見分けがつかなくなるほどに進化し実際の俳優の仕事を奪うようなところにまで進化しています。この様な現実をいち早くアニメ映画として表現したものの一つに押井守監督作品「攻殻機動隊」シリーズがあります。この映画の第一作は30年前の公開ですが今でも深い内容を含んでいます、「攻殻機動隊」が示した人形の現在と未来がどの様なものだったのか以下紹介したいと思います。

「攻殻機動隊」は近未来を舞台にしたアニメ映画です。その世界の中では人間の身体の一部また全てが機械に置き換えられている機械人間が当たり前の世界です。勿論脳もコンピューターネットワークに接続され人間の持つ魂でさえも仮想空間に再現できるのです。脳が常にネットワークに接続されている為目の前に見えている現実がリアルなのかバーチャルなのかそれすらもあやふやです。脳が考えていることなのかコンピューターの計算がみせる幻覚なのか区別がつかないのです。この作品を作った押井守監督と対談した際「トイストーリー」はアニメ映画ではなく人形劇ではないかという話になりました。仮想空間ににある立体物を撮影して映画を撮るわけですから確かにそれは人形劇に他なりません。差し詰め仮想人形劇と呼んでも良いようなものです。この様な仮想人形はⅤチューバーの使うアバター含め日常生活でもよく見るようになりました。仮想人形はハリウッドの俳優どころではなく益々日常生活に入り込み当たり前のようになっています。この様に仮想の人形の住む仮想空間と現実の空間は混ざり合い「攻殻機動隊」の描いた世界同様に今までとは違うリアルを我々に突き付けています。そのリアルとはリアルとバーチャルの三次元空間がコンピューターを媒介して重なり合っているという不思議な世界です。その不思議の世界の中ではバーチャルとリアルを横断出来る「私」の存在が普通になっているのです。バーチャルの世界の私は「トイストーリー」のような一つの仮想の人形でありコンピューターはそれとリアルな肉体を媒介します。そしてそれは人間と人形が重なり合った新たなアイデンティティーとして出現するのです。私の投稿を続けて読んでいただいた方はもうお分かりと思います。このモデルは以前紹介した四谷シモンさんの「ナルシシズム」という人形理論そっくりなのです。異なる二つの世界を媒介するのが鏡かコンピューターかの違いを除けば人形と人間が重なり合ったアイデンティティーを共有しているという点について不思議な照応があるのです。この様にデジタル技術と現代創作人形のアイデアが接近していることは現代において人形の果たす役割があることの一つの証明なのです。

以前の投稿で取り上げた「球体関節人形展」は元々「攻殻機動隊」の劇場版第二弾「イノセンス」の連動企画として行われた展示会でした。「イノセンス」の中には四谷シモンさんをモデルにしたキャラクターが現れたり、ベルメール風の球体関節人形が現れたり「球体関節人形」に対する愛にあふれた作品となっています。アニメ映画「イノセンス」は人形の持つ意味やイメージを手掛かりに人間が未来に遭遇する身体や心のアイデンティティーの問題を取り扱っているという意味でこれからの創作人形のテキストになる作品だと思います。20年前「球体関節人形展」ではハンスベルメールから現代の「球体関節人形」を俯瞰するという内容だったが為に未来に向けた人形のイメージとは何かという視点に欠けていたことは本当に残念な事だったと思います。現在創作人形の世界でもデジタル造形で作られた作品も出てくるようになりました。しかし新しい技術で作られているからといってその作品が新しい作品であるとは限りません。四谷シモンさんの作品は張り子という伝統的な技法で作られていますが50年たって作品の背後にあったアイデアが現代の時代状況とマッチしてしまうのです、こんな事を表現できるのが新しい人形だと思います。デジタル社会というのは既に我々の生活と密着しているものですからどの様な作品を作ろうとその影響から逃れることはできません。そんな現在や未来の人間像を表現するのも現代創作人形の役割であるのではないかと私は思っています。

                            月光社 つじとしゆき

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