創作人形の国際化

 今回は自分が人形業界に入って以降体験した海外の創作人形についてのアレコレについて書いてみたいと思います。本当は70年代以降ぐらいから書いてみたいのですが何分にも資料がなく今回の投稿も私の記憶が頼りなので事実関係と違う点もあるかと思いますが何卒ご容赦ください。

私が人形業界に入ったのは90年代前半、後に球体関節人形展に参加する三輪輝子さんのアシスタントとして入った所から始まります。三輪輝子さんは当時から海外の人形事情を雑誌などを取り寄せて調べていました。当時欧米では創作人形のブームがあり市場も成熟しつつありました。特にアメリカは国土が広いですから雑誌は一種のカタログのようなもので通信販売の媒体でもあったわけです。この様なシステムに対応するため海外の創作人形は大なり小なり工房制作だったと思います。創作人形の通信販売をいち早く行っていた三輪輝子さんは自らドイツに足を運んで当地の人気作家であったグンツェルの工房を視察し工房運営の為のヒントを勉強したりしていました。その頃日本では後に球体関節人形展を企画する羽関チエコさんが創作人形の総合誌であるドールフォーラムジャパン(DFJ)を創刊し海外で活動する日本人作家の情報やアメリカの創作人形団体ニアダの情報なども紹介されるようになりました。三輪輝子さんの工房では当時一緒にアシスタントとして働いていた因間りかさんが国際的な人形コンクールでグランプリを受賞しプロ作家として工房から独立するなど国際的な状況が身近な状況に影響を及ぼすのを身をもって感じることが多かったと思います。

90年代の終わりころ私も独立して制作活動を始めていました。その頃羽関チエコさんは新世紀人形展という人形の公募展を立ち上げていました。国内外から人形を募集する人形公募展ということで特色のある公募展だったと思います。招聘された海外作家の人形のクオリティーの高さは当時の私にとって刺激になるものでした。羽関チエコさんはその後人形メーカーセキグチ(モンチッチで有名な会社です)が作ったセキグチドールガーデン(現在休館)の企画に参加して海外の創作人形の紹介に尽力します。今から考えると海外の創作人形の良品が国内で見ることができる幸運な時代だったと思います。

2000年代になると私にも海外のドールショーへ出品するチャンスがまわってきました。インファ2000というドイツのドールショーでした。ドールショーは大規模なもので創作人形以外にも玩具からクリスマスオーナメントまで多くの業者がブースを構えていました。創作人形ではEJテイラーやアクセルルーカスなどの有名作家も出品していました。彼らは工房制作の作品というより一点物のアート作品という方向性を打ち出して差別化していたと思います。アクセルルーカスの作品はいわゆるフィギュアビスクドールですが作品が完成するとモールド(石膏型)を破壊するという触れ込みだったのでビスクドールでありながら一点物の希少性を保っているといわれていたのです。日本では当時創作ビスクドールのナンバリング(一つのモールドから何体作るかを顧客に明示する事)を行っているのはまれなことだったので新鮮な驚きがありました。もう一つの驚きは彼らが人形作品に向ける批評的な視点です。例えば私の作品に対して「この作品にはあなたの日本人としてのアイデンティティーがどの様に表現されているのか?」などと聞いてきます。また自分の作品に対しても理路整然と解説してくれます。当時の私には人形一般にその様な視点を持つなどと考えられないことでした。人形は綺麗なもの、可愛いものそれだけです。しかしヘーゲルの哲学があたかも日本人にとっての和歌のように心の根底にあるドイツ人にとって世界を理解可能な言葉に変換するのは当たり前の事なのです。これは海外の人に人形を発表するにはその国にあったテキストが必要である事を私に痛感させました。かわいいだけではダメってことですね。なので以降海外のドールショーに参加する時はその国の国柄について簡単に勉強するようにしています。それは自分の作品について説明するだけではなくその国の人形作品を見る時のガイドにもなりますので役に立つメソッドだと思います。

10年代に入ると欧米の人形熱がロシアに伝播しロシアから優秀な人形作家が現れます。日本でも羽関チエコさんの招聘によりロシアの人形作家の作品が日本でも紹介されるようになりました。その中でもロシアや東欧のぬいぐるみを販売する「ファンタニマ」は現在も続く人気の展示会となっています。羽関チエコさんは日本にロシアの人形作家を紹介するにとどまらず日本の創作人形をロシアに紹介するということも行っていました。10年ほどの活動の節目に私も声を掛けて頂き、2016年ロシアのドールショーに参加する機会に恵まれました。モスクワの会場は元劇場でデコラティブな内装が素敵な空間でした。ザイコフやナムダコフを始めとした有名作家や個性的なぬいぐるみや小物、材料の販売ブースもあるバラエティーに富んだ展示会でした。日本でいえば日展の人形部門とワンダーフェスティバルとデザインフェスティバルを合わせたようなイメージでしょうか。多分これは日本においては早くの内に分化した工芸、手芸、フィギュアのような立体造形のカテゴリーがロシアでは分化せず人形という表現に集約しているのが原因だと思います。才能のある作家というのは限られた存在ですからジャンルが分化しているより集約していたほうが競い合いますし、刺激しあうので良い作品が生まれるのは当然なことになるわけです。それに呼応するように優秀な作品を求めてコレクターがドールショーに集まるわけですからロシアの人形作家のレベルが高いのは当然のことだと思いました。日本の持つサブカルチャーの裾野の広さはこと創作人形のレベルという観点に立つと諸刃の剣のようなものだということです。

私が人形業界にに入って約30年経ちました。お読みいただいたように私の人形歴は創作人形の国際化というものとほぼ同じ歩みを辿って来たことをご理解いただけたことと思います。これは陰に日向に創作人形の国際化というものに尽力してこられた羽関チエコさんの存在があったことを忘れてはいけません。現在においてはSNSの発達によって海外作家の活動や作品を知ることもできますし、日本から発信することも可能です。AI翻訳の性能が向上しさらに普及すれば今まで以上に国内外という垣根は低くなっていく事でしょう。しかし約30年にわたるこれまでの海外作家の紹介活動に関わらず日本の創作人形シーンにおいて海外作家の影響や興味は限定的なものでした。これは海外作家の作品には作品の裏側に在るストーリーや作家のパーソナリティが分かりずらいという事が原因としてあったからだと思います。しかしこれは海外作家の作品が常設で見られるような環境が整い、作家のプロフィールと作品が一致しない限り解決しない問題でしょう、そういう意味でセキグチドールガーデンの閉館は誠に惜しいことであったと思います。この様な海外ドールシーンへの無関心と反するように日本の創作人形に対する海外の興味は現在高まっているのではないかというのが個人的な感想です。球体関節人形展に参加した吉田良さんの著作である人形教則本「吉田式」はアジア各国にとどまらず各国の人形作家にも影響を与える「球体関節人形」制作のバイブルになっています。またそれは製作技法にとどまらず「球体関節人形」の背後にある様々なストーリー、文脈を含めた受容になっているところが興味深いところです。現在都内の「球体関節人形」を扱うギャラリーなどでは海外から聖地巡礼に熱心なファンが訪れておりその関心は漫画やアニメ、写真集などを通じて今後益々拡がっていく事が想像できるのです。しかし漫然とそのような人気にあぐらをかけば足をすくわれることにもなりかねません。例えば「球体関節人形」は独自の裸体表現を特徴としますが国によってはチャイルドポルノととられかねませんし、また白い肌、金色の髪を主要なモチーフとするファッションドールは偏った人種賛美ととられかねない危険性を秘めています。今まで内向きな日本の創作人形シーンでしたが好むと好まざるに関わらず国際的な表現として自覚的な発信を求められているというのが現代創作人形に求められている現実であると思います。

日本の市場が縮小する未来が見えている現在、日本の創作人形が国際的なマーケットを目指していくことは避けがたい問題でしょう。その時先述したように輸出する国柄に配慮することは勿論の事日本の創作人形が抱えてきた様々な背景や、個別の作品がそのような歴史からどの様な影響を得て成立したのか説明できなければ表現として認めてもらうことは難しいと思います。しかし現状においてその説明責任は作家個人が負わなければなりません。出版社やギャラリーは何もしてはくれないのです、そもそも説明の基礎となるような創作人形批評が存在しないのですから彼らを責める訳にもいきません。この様な現状は簡単に変わるものではないので覚悟するしかないでしょう。しかしその様な現状は逆に作家同士の交流から日本創作人形のアイデンティティー言説を創り上げる可能性があるということでもあります、新しい価値はその様な場所から生まれる事でしょう。その様な新しい価値の中から国際的に認められる人形作家が現れてくることと思います。未来は本文を読んでいるあなたたちの手の中です。

                            月光社 つじとしゆき



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