抒情性について考える
前回の投稿で抒情性と人形ということを書いたので今回は抒情性について考察してみたいと思います。
前回紹介した通り抒情性というのは作者の心から沸き起こった感情が作品を通じて観客に伝播し感情を揺さぶる事という意味です。日本において抒情性というのは個人の人格、他者との関係性に重要な役割を果たしています、その事を文書においてはっきりさせたのは本居宣長という江戸時代の国学者です。日本という国は卑弥呼の時代よりお隣の中国の影響を受けて発展してきました。文字や法律、様々な技術、宗教に至るまで中国から学んだのです。その中でも儒教や道教や仏教は日本人の考え方そのものに大きな影響を与えました。本居宣長は中国から受けたそれらの影響を取り去ったら日本人の原型のようなものが見えてくるのではないかと考え古典の研究を始めました。そして日本で一番古い歌集である万葉集を手始めに日本で一番古い物語である古事記、大河ドラマでもおなじみの源氏物語を研究して日本人の深層を支えているのは自分や世界を抒情的に捉える日本人の姿勢であると考えました。そしてそれを「もののあわれ」と名付けました。「もののあわれ」は研究者でも色々と解釈に違いがあるのですが抒情的に物事を捉える姿勢でだいたいあっていると思います。個人的には「エモい」という若者言葉は近いニュアンスだと思います。英語のエモーショナルに語源を持つこの言葉は哀愁や情緒、切なさやノスタルジーなどの意味を複合的に持ち、風景を見たり、音楽を聴いたりして情動が動いた時まさに「エモい」という感情を呼び起こすのです。この様に万葉の昔から日本人の心根はそんなに大きく変わってはいないというわけですね。この様な考えは日本人てなんだろう?というアイデンティティに始めて出た一つの答えとなりました。西欧諸国と接触する幕末から明治維新にかけて日本人てこんな民族ですと対外的に言えるテキストになったわけです。しかし本居宣長の思想には抒情的でロマンチックな反面少々厄介な思想が隠れていた為後々色々問題が出てくるのです。
本居宣長は「もののあわれ」を感じる日本人をどの様に捉えていたかと言いますと「拙きしどけない」者たちと捉えていました。今風にいえばガキっぽくておまぬけさんみたいなニュアンスですね。その日本人の中で立派なのは天皇陛下一人なんだから余計な事考えずに天皇の御心と共に生きるこれが正しい日本人の生き方です!と説きました。徳川幕府が倒れて明治になり現在に至る天皇制の背景にはこの様な考えが背景にあったのです。明治以後日本は対外戦争に明け暮れる訳ですが戦争で多くの若者が虫けらのように死んだのも天皇だけが立派であるというような思想が根本にあったからでした。酷いもんですね。しかし大正時代になると海外から沢山の思想や文化が入って来て個人の権利を大事にしようという考えが生まれます。大正デモクラシーと言います。僕らも天皇と同じように人間だ!という感じです、しかしこの人間というのは本居宣長の思想をきっぱり否定するようなものではなく逆に「もののあわれ」を感ずる日本人を誇らしいと思うという域の出ない人間像に過ぎなかったと思います。ですから大正時代は抒情的創作物のオンパレードとなります。子供は「赤い鳥」の児童文学、女学生は竹久夢二の絵や詩に熱狂し。大人向けにはオペラとカフェが大流行します。それらは皆抒情的でロマンチックな娯楽だったのです。人形が抒情性をテーマにするようになったのはその様な当時の市民の心根を引き継いでいることは改めて確認する必要があると思います。
前回紹介した通り抒情性というテーマは戦後の創作人形に大きな影響を与えました。個人的には平田郷陽の作品スタイルの変化にも影響があると考えています。初期の生き人形のスタイルは抒情性を喚起するというより迫真の描写力が作品の見所ですが後期の作品では心情に訴えかけてくるようなスイートな造形スタイルに変化しています。平田郷陽と同時代の人形作家で戦後人間国宝になった鹿児島寿蔵はアララギ派の歌人としても活躍し和歌の持つ抒情性を紙塑人形というオリジナルなテクニックで作品に昇華していきました。美術工芸でない人形においては与勇気さんという人形作家が80年代後半以降抒情的な作風で一世を風靡しました。その作品は昭和初期の子供達や風俗、コロボックルといったような妖精像を布張りの抒情的なフィギュアとして作ったのがが特徴です。(コロボックルは明治期の民俗学において原日本人とされた伝説の存在です)TVショー「徹子の部屋」で黒柳徹子さんの後ろに飾ってある羽のある妖精の人形を覚えている方もいると思いますがあの作品を作ったのが与勇気さんです。与さんの作品は本当にエモさがあふれてます、作品を見ると誰でもムネアツになってしまいます。しかしその作品の魅力は綿密な計算によって作りこまれた造形的抒情性によって支えられているというのが私の見立てです。何故なら与さんの作品の外見的な特徴は一定の法則性がありそれは他の創作人形一般にも応用可能なメソッド(方法論)であるからです。具体的には、ノスタルジック(懐かしい)な世界観、それを支える古びた布の質感、侘びた色彩感覚、抑制されたポ-ズ、物憂げな表情などです。「球体関節人形」においてもノスタルジーを喚起するアンティーク家具や洋館、古民家などの中に人形を置くこと含め前述した造形的要素に多くの共通性を確認することができるのです。このメソッドを使えば作品があっという間に「エモく」なるのですから凄いテクニックだと思います。大正期以降の創作人形が抒情性を主要なテーマとして扱い、そこから生み出された作品が広く受け入れられたため創作人形は抒情的でロマンチックなものであるというイメージが時間とともに社会に定着していったわけです。創作人形の展示会場でよく物憂げな表情を浮かべた人形がアンティーク家具やレースの中で佇んでいる光景をご覧になったことも多いと思います。この背景には人形表現が抒情性という日本人本来のアイデンティティーと密接に結びついていった歴史的な背景があったわけです。まとめますと抒情性というものは日本的な心性の内底から生み出される日本人ならではの表現なのです。まさに「やまとごころ」です、それは万葉の昔から現在に至るまで日本人を支えている表現の根っ子なのです。それ故に明治、大正期以降、西欧化していった日本人たちの精神的な拠り所として反動的に甦り創作人形の魂となったのです。
現在「もののあわれ」(エモい)という感情を古の和歌から感じることは難しいと思います。それはむしろSNSの何気ない投稿や流行歌に感じることの方が多いのではないでしょうか?時代によってそれを伝えるメディアや方法が変化するのは当然のことなのです。当然人形も同じです。非論理的で無批判的な「もののあわれ」は言葉にして説明するのが難しい概念なので抒情性を主なテーマとして表現してきた創作人形は現在社会的な理解の範疇の外側に置かれているのは事実だと思います。しかし明治期には思想家の岡倉天心が「もののあわれ」に代表されるあやふやな日本人の美意識を欧米に理解してもらうため英語で発信したりもしていました。このように現代の日本の創作人形も情報化の社会の中その価値観を英語で発信していく必要もあるかもしれません。またPOPアート巨匠の村上隆がアニメや漫画と日本画の共通点を理論的にまとめてスーパーフラットとという理論を引っ提げて欧米のアートシーンを驚かしたように「もののあわれ」を人形の現代性を支える理論として新たに組み立てることもできるかもしれません。ともあれ「拙きしどけなき」我々にもまだまだ人形を通じて「やまとごころ」を現代に甦らせる可能性があることを本文を読んで感じていただけたら幸いです。
月光社 つじとしゆき
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